スポンサーリンク

糖尿病患者の主体的治療の困難さ

前回の記事で、私が糖尿病治療に主体的に取り組むきっかけになったかかりつけ医とのやりとりについて書きました。

自分で調べざるを得ない、考えざるを得ない、という気持ちになったわけです。

主体的な意思決定とは、自分で考えて自分で決めて、その結果について(他者のせいにせず)自分で引き受けることだと思っています。

しかし、糖尿病治療についてそれを実行するには困難が生じます。

 

主体的治療に関するたがしゅう先生のブログ記事をもとに考えてみました。

たがしゅう先生のブログから

2009年時点での日本病院会の副会長で、上都賀総合病院名誉院長の大井利夫先生の「患者の権利」に関する体系についての発表のなかに、

医療行為の場に登場せざるを得なくなった患者にとって 、医療行為を受けることは「非日常」の「好ましくないこと」であって、しかも医療者と対比して弱い立場にたたされる

〔患者が医療の主体的立場に立ちにくい 理由〕
①専門的知識の質と量に差がある(情報の非対称性)
②医療提供者としての 医師への信頼が求められる。
③救いを懇願し、能動ー受動モデル になりやすい
④皆保険制度による自己負担意識の低下が見られる。

とあるそうです。

なるほど、と思ったので、この項目の沿って私の思うことを書いてみます。

専門的知識の質と量に差がある(情報の非対称性)

患者による主体的糖尿病治療にとってこれが最も難しいところです。糖質制限が良いのかカロリー制限が良いのか、を主体的に決めるには、多くの情報を吟味することが必要です。

情報とは、書籍、インターネット情報、それぞれの主張の裏付けとなっている論文などのデータ、薬の効果や副作用のデータ、合併症の発生確率、各治療法の効果のデータなどなどです。

患者にとって困るのは、それぞれの主張に不都合なデータは表明されず、また医療のデータは一般に公表されていないことが多いので自分で調べようにも調べようがないこと、データの解釈には医学の知識が必要な場合があり、素人にはデータ解釈に限界があることなどの障害があります。

医療者と同じ情報を入手することができず、また入手できた情報を解釈する力がないのでは、本当に意味で自分で考えて決めることは難しくなります。(「江部先生が言っているから、信じることにするか」になってしまいます)

たがしゅう先生は、「患者は医師に依存せず自分の病気を考えるための情報を自発的に入手すべし」と書いていらっしゃいますが、これは情報弱者である患者の立場には、限界があると感じます。私は素人としてはかなりしつこく情報を入手しようとしている方だと思います。しかしそれでも入手できない情報が沢山はあるし、情報があっても(例えば論文が入手出来ても)意味が分からない!という状態になることも多いです。

医療提供者としての 医師への信頼が求められる

たがしゅう先生の見解

確かに患者は良い医療を提供してもらうために無条件で医師を信頼しなければならない状況に立たされてしまっていると思います。
医師を信頼せずに疑いのまなざしばかり向けていれば、気を悪くした医師に本来提供されるべき医療を施されなくなってしまうと困るのは患者自身でしょうから。
しかし、それはあくまでも「医師が病気を治す」という前提に立てば、の話です。
「患者が病気を治す」という主体的医療の視点に立てば、自分が信頼できない医師は正直に信頼しない意思表示をしても、
別の信頼できる医師を探すという行動をとればいいだけの話となるので、特に困ることはありません。

と書いていらっしゃいます。

医師に正直に信頼しない意思表示をする

私の現実はこうでした。

糖尿病専門医の言うこと、態度に対して不快感を感じたり、説明内容に納得できないことはあったのですが、その場でなかなか言えませんでした。
医師と患者の関係は、指示する人とされる人、尊敬される人と尊敬する人、権威者と従う人という関係が暗黙の裡にあるように思います。心理的な面です。
医師のことをさん付けはなかなかできないし、もしさんづけで読んだら医師が不快な顔をしそうに思います。「先生」という呼称も、医師と患者の力関係を示す一例です。
それでも、エネルギーを出して、医師と議論しようとする音はできないわけではないですが、相手がそれを受け入れそうでないと、なかなかそのエネルギーも続かないように思います。

まあ、私が医師に対して言えなかったいいわけでもありますが、私のように感じる人も結構いるのではないかと思います。

別の医師を探す

私の現実はこうでした。

別の医師を探す、という点ですが、私の場合はかかりつけの内科医から糖尿病専門医、そこから糖質制限治療医と2度医師を変えました。これはやろうと思えばできることです。ですが、埼玉県という人口が多いところでも糖質制限の医師を探すのは大変でした。
よい医師かどうかは受診してみないとわからない面もあります。仕事を半日止める調整をして無駄足だったら、とリスクも考えてしまいます。

出来なくはない(実際に行いました)が、かなりのエネルギーが必要でした。

まとめ

救いを懇願し、能動ー受動モデル になりやすい
皆保険制度による自己負担意識の低下がみられる

この2点は省略します。「救いを懇願し」は正直ピンとこないので。「皆保険制度」これは話が大きくなりすぎて、時事問題になりそうなので。
もしかしたら、二つともそのうち書くかもしれません。

患者にとって主体的治療が困難であることを、情報の問題と、医師と患者の関係性の2点を中心に書いてみました。

難しさはありつつ、自分の健康は自分のものです。医師の指示通りに治療して合併症になっても、糖質制限で長期的に何らか健康に問題が出ても、どちらでも自分で引き受けるしかないわけです。
また、糖尿病に対処することは、食事という生活の基本に関わります。自分の納得のいく自分が満足できる生活をしたいですから、自分で決めることだと思います。

ということで、できる範囲での主体的治療に今後も取り組みます。

コメント